河童日記

暇つぶしです

心情

家の扇風機が壊れた。左右に動く首の部分が胴との接合部からガクっと半分外れてしまう哀れな最期であった。壊れてもなお羽は回っていて、それが壊れたせいで異様な音を立てるものだから、さながら断末魔の叫びを聞くようであった。

家電製品から人間性を感じることがある。無論、ただこちらが家電の動きに人間の動きを投影するまでであるが、それにしてもそういうことが結構あるから面白い。例えば以前、パソコンの調子がおかしくなって、仕方なしに家族に買い換える相談をした直後、急にパソコンの動きが良くなったことがあった。買い換えないでくれと言わんばかりである。

こういう、本来心を持たぬ者に心を持たせようという人間の働きは、どこから来るのだろうかと不思議に思う。独り暮らしの人が、お掃除ロボットに話しかけがちであるというのも、同じ現象であろうか。これが万人に共通なのかそうでないのかも気になるところである。小説の主人公に感情移入するような感覚で、身近な家電にも感情移入できるのであろうか。

そういえば科学の世界でも往往にして、感情移入がされることがある。電子の気持ちになって考える、とか、光の気持ちになって考える、とかそういう類である。初学者の私にとっては、その方がむしろ理解しやすいらしい。その点、立派な科学者もやはり物理現象に心を与えているのだろうか。是非そうであってほしい。全ての現象を数学という言葉で全てを表すのは間違いなく便利だし、それが更にその先の発展に繋がるというのも分かるが、しかしその後に大事なオマケとして、万人の腑に落ちるような心の動きというものを現象に投影してやるべきではないかとも思うのである。