河童日記

暇つぶしです

思い返してみると、周りにすぐ影響されるようである。ある時は気に入った映画を何度も観た挙句、歩き方が映画の主人公に似てしまったことがある。好きな小説を繰り返し読んだことで、私の書く文章が作者のそれと似通ってしまったこともあった。一つ一つ触れていてはきりがないからやめておくとしても、あまりに影響されやすい。以前これを知人に話したところ、それは自分が無いだけじゃない、と言われてぐうの音も出なかった。

私は大学院で化学を専攻する学生であるが、元はと言えば化学への興味も、高校時代の恩師に大きく影響されたからである。得意でもない化学に何年も首を突っ込んでいるくらいだから、その影響は特に大きかったのであろう。そういう私が突然長々と文を書き始めたのも、やはり誰かしらの影響を受けてのことであるといってももはや事実のように聞こえるが、実際はそう単純でもないのである。

寺田寅彦の「柿の種」を読んだのは、それほど昔のことではない。大学に入ってすぐ、読書家の友人に影響されて様々な本に手を伸ばすようになり、やがて寺田寅彦をはじめ、湯川秀樹岡潔といった、数学者や物理学者の書く作品を好むようになった。科学者でありながら数々の著作を残した彼らへの憧れがあったのである。その憧れはやがて、私もいつの日か科学においても文学においても名を残すような人間なりたい、などという途方も無い夢へと姿を変え、それを胸に大学院に入ることになった。ところが近頃、本格的に研究をするようになってから、そういう偉大な先人たちが違った姿を見せるようになってきた。

化学を含め、科学に身を投じていると、その楽しさとは裏腹に心が乾いていく感触がする。科学を好きでやっているのにも関わらず、である。研究を始めてまだ幾ばくも経っていない私の説得力に疑問を呈するものもあろうが、新参者がその世界に身を置いた途端に気づく感慨がそうであるということは、むしろその真実性を裏打ちするものであるようにも思われる。これに基づいて、超一流の科学者の心の疲弊というものを考えてみると、彼らの見え方が変わってきた。つまり、科学に没頭する彼らの心の防衛本能が、彼らにペンを持たせしめたように見えてきたのである。例えば彼らが疲弊の内に、その感性を保とうとして文を書くのであれば、疲弊の大きさに比例して文学的価値も上昇していくのではないか。今の私には、彼らが文学者であったのが、単に科学者であったことの裏返しであるように思えてきたのである。

従って、科学者の卵になった私がこれから随筆を書こうというのも、当然の帰結であろう。科学以外のことに思考を割くために、その必要に駆られて書くのである。そうして書き始めたものが、いづれ現代の「柿の種」となるか、あるいは単なる手慰みの日記になるかは、逆説的に、私がどれほど科学に没頭できるかによって決まるのである。