河童日記

暇つぶしです

不要

ただの猿だった生物が二足歩行をし、道具を使い、言葉を操り、宇宙にまで飛び出しているのだから、人類の進化は大したものである。大したものではあるが、それにしては進化にムラがありすぎやしないか。何を言いたいかというと、髭についてである。

毛むくじゃらの猿だった時代から、進化を遂げてここまで至ったのに、未だに顔の周りの体毛だけが頑なに残っているのは解せない。体毛が身体の保護の役割を果たすというのは理解できる。例えば頭髪については、大事な脳を守る役割があるとして許してやっても良い。だが髭の生える部位はそれほど大切な機能を有しているとも思えないし、有しているにしても人類にならば髭などに頼らなくても容易に守ることのできる場所である。何故今更そんな古風な髭などに保護を任せているのか。

髭は面倒である。伸び放題にしていては鬱陶しい。食事するにも長い髭は邪魔であろう。サンタクロースがナポリタンを頬ばろうものなら、何か野蛮な印象を拭えない姿になるに違いない。伸びると不便だから剃るにしても、朝の忙しい時間に髭を剃るのは億劫なのである。

そもそも髭を剃っている人間が不便を被っていないことからも、髭が無駄なことは明らかなのである。考えてみると現代の人類は、全体を見渡すと知性の進化と理性の進化が釣り合っていないのである。それが知性の暴走であれ理性の怠慢であれ、そのせいで、文明にとっての科学の重要性が社会に真に理解されず、科学が不遇をかこつことになるのだが、それは置いておくとしても、知性に理性が追いついてくるのを待つ間に、髭を根絶する方向に進化しても良いのではないか。最近よく目にする脱毛の広告は、ようやく人類が体毛の不要性に気づきつつあることの証左かもしれぬ。