河童日記

暇つぶしです

逆転

友人によると、「言語学的、哲学的な通説として、西欧では紙に書かれることよりも口によって発せられるもののほうが本心を表していて重要視され」、「一方で日本や中国では逆で、話していることよりも書かれたもののほうが重要視される(されてきた)」らしい。興味深い違いである。表音文字であるか、表意文字であるかの違いが起源である、という言語学者もいるそうだ。その起源はさておき、これを前提として考えると、昨今のSNSの発達が、西洋化の波の一端であるように思えてくる。

LINEやTwitterを始めとするSNSは、書くことを限りなく話すことに近づけるツールのようである。電子媒体として氾濫する情報の多くは、いわゆる会話の形式で表出されている。本来の状態、すなわち書かれたものが重視されていた状態から、発話されたものが重視されていた状態への変化であろう。遡れば、おそらく電子メールの普及あたりから、この逆転が生じたのではあるまいか。

手紙のような、書かれたことに基づくやりとりが廃れていくのは寂しいように思うが、ありとあらゆるものが西洋化してしまった現代においては、それも仕方ないのかもしれぬ。それでも、日本では古来から書かれていたことのほうが重要視されてきたことを踏まえれば、本質的に、会話よりも文章を介しての方が、我々にとっては円滑な関係を構築しやすいのではないかとも思うのである。

現代社会においてはしばしば手紙が再評価されているように思われる。SNS疲れなどという言葉も聞かれる時代である。もしかするとそれらも、西洋化された情報交換手法に対してどこか使い勝手の悪さを感じているからかも知れぬ。