河童日記

暇つぶしです

距離

私が中学高校時代を過ごした街は、表情豊かで素敵な街だった。四季の移り変わりで言えば、春は桜が咲き誇り、それはやがて鮮やかな緑に変わっていって、秋はイチョウが黄金色に色付き、冬は時折降る雪が心を踊らせるのであった。いわゆる学園都市であったためか、下品な店はあまり無く、喫茶店や文房具屋や本屋が通りを賑わせていた。多感な時期をそこで過ごしたせいで、その街並みが私の理想そのものとなった。桜が散った後の通りのいたるところに落ちていた毛虫や、秋の銀杏の匂いの臭いことや、そういう必ずしも美しいとは言えない様相ですら、その街の構成要素として愛おしく思えてくるのは、今はもう通っていないその街への郷愁が生み出す錯覚かも知れぬ。大学に入ってからも時折その街を訪ねていっては、懐かしい感傷に浸ることがしばしばあった。それが許される包容力がその街から感じられた。

その街が今年の春、大学の卒業も決まって久々に訪れた時、今まで感じたことのないよそよよしさを見せたのである。かつてよく入った本屋も文房具屋も、幾度も歩いた通りも、まるで見知らぬ街のように感じられ、そのあまりの突然さに戸惑いを隠せなかった。街並み自体に大きな変化はない。ただ私に見せる姿が変わったのである。私を受け入れてくれる数少ない故郷をの一つを失ってしまったように感じて、ひどく寂しかった。

最近訪れた時にはこの感触は幾分か和らいでいたものの、いつまたその時のような寂しさを感じるかと思うと少し恐ろしい。思い浮かべれば無数に出てくる懐かしい光景も、実際に再び目にした途端に空虚さをまとって霞んでしまうのではないか。晴れた日に通り沿いの木々が投げかける木漏れ日も、夏の盛りのうるさくも心地良い蟬時雨も、店先に吊るされた風鈴の音も、雪の朝の静けさも。あるいは何を買うか真剣に悩んだ道沿いの自販機も、入ってみたくても中々入れなかった洒落た喫茶店も、文具屋の隅にひっそりと並べられた万年筆も。